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大川氏は何をするにも常にそれによってどう信者拡大につなげるか、全てをマーケティングとして考えているところがあります。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)23時06分43秒
  2009年、実現党はには北朝鮮から今にもミサイルが飛んでくるようなことを言ってあおってましたが、

3年たちますが飛んできません。

中国や北朝鮮に油断してはいけないという指摘は間違ってないんですが、それは外交や軍事の問題です。

教団にお布施することと関係ないことは、信者じゃない人から見れば明らかなんですが、

信じていると理性が働かなくなってしまうんですね。

信仰は諸刃の剣です。

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9.html

ご指摘の通りだと思います。

悪い予言は、当たらなくても気にしないという人間の心理があるので、平気で言い散らしている可能性があります。

大川氏は何をするにも常にそれによってどう信者拡大につなげるか、全てをマーケティングとして考えているところがあります。

政治進出で濃厚な戦略は、恐怖心を使いながら、政治に関心がある保守層を取り込むことでしょうか。

あるときにぱっとやることが変わるのは、狙いとするマーケット変えたというふうに考えると理解しやすいと思います。

http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-345.html

 
 

実は大川総裁自らが、東京大地震への恐怖から宇都宮へ引っ越したのですが、会員にはその事実は伏せられていました。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)23時02分55秒
  深層潜在意識との対話3 恐怖心と怒り

私をTと表記し、深層潜在意識をSと表記します。

ロール・レタリングの手法での対話を行います。

T 私は大川総裁の離婚問題を支部のビデオ拝聴会で聞いた時に、大川きょう子さんへの怒りを感じました。

どのような怒りかというと、中国の侵略への警鐘を鳴らし国を救おうとしている救世運動の妨げをしていることに対する怒りでした。

国の安全保障と世界の問題に取り組んでいる時に、私的な問題で救世の団体の発展を阻害するなど、許しがたいという思いでした。

その奥にあるものは、中国の侵略に対する恐怖心でした。

この救世の団体が政治にも進出しなければ、日本人は中国に支配され、国民は奴隷にされてしまうのではないかという、凄い恐怖心です。

この恐怖心から怒りが出たのです。

恐怖心の奥には自己防衛の思いがあります。

そこから自分を害する恐れのあるものへの怒りが噴き出すのです。

私は現在の大川総裁を批判していますが、中国の日本侵略に最大の警鐘を鳴らしているのが大川総裁なので、この点は評価すべきではないかという気持ちがあります。

しかし、恐怖心や怒りは結局、自己防衛の思いでもあるので、やはり問題があると思います。

このことをどのように考えていけばよいのか、ご指導ください。

S 現実の中国による日本侵略の可能性は、これは現実の問題としてしっかり見据えていかねばならない問題だと思います。

しかし、それと恐怖心とは別問題です。

恐怖心に蓋われたら、決して正しい判断も行動も出来ないはずです。

政治上の主張の良し悪しと、恐怖心や怒りの問題は分けて考えてください。

そこで考えてもらいたい事は、あなたは何故恐怖心が湧くかです。

実は、その根は結構深いのです。

この教団での活動それ自体によって恐怖心が刷り込まれてきたからです。

1990年代初頭の大伝道の時期に『ノストラダムス戦慄の啓示』と『アラーの大警告』が大献本されました。

これは恐怖の予言です。

恐怖の予言で人々の恐怖心をあおり、世紀末の危機から救われるためには入会しなければならないという意識があったはずです。

また阪神淡路大地震があった後に全国的な地震災害への恐怖をあおり、街に100人の信者が出来なければ、

その街が危ないという恐怖心から、人々は伝道へと駆り立てられました。

実は大川総裁自らが、東京大地震への恐怖から宇都宮へ引っ越したのですが、会員にはその事実は伏せられていました。

このほか世紀末までには、ポールシフトの恐怖もあり、恐怖心からの伝道が広がりました。

そして、2009年の総選挙の年には、中国による侵略の恐怖が、様々な霊言によってなされました。

警告という意味はあった訶とは思いますが、恐怖心が確実にあなたの心に浸透していったはずです。

選挙の大敗北の後は、さらに深刻な邪神による地球侵略の予言がなされ、さらに恐怖心が大きく膨らんだのです。

つまり、この教団(幸福の科学という名前を使うことで悪しき波動を引いてしまうため、なるべく避けて下さい)の活動に真面目に携わる事によって、

自分の心に恐怖の予言が刷り込まれ、何時の間にか恐怖心で行動するように仕込まれてしまったのです。

日本の国民を救いたいという悲痛な気持ちがあったため、恐怖心を持つ事は恐怖するものを呼び込む可能性があることや、

恐怖心が悪魔の軍隊であることを、すっかり忘れさせられていたのです。

恐怖心があるところには怒りが伴います。

それはあなたが指摘するとおりです。

あなたがきょう子さんに抱いた怒りは、あなたの恐怖心から来る怒りだったのです。

もう一つ言うなら、一方的な教団の宣伝を信じた愚かさも、怒りの原因です。

恐怖心が根底にあって出てくる、自己防衛から発する怒りなので、怒りへの心のブレーキが効かずに、極端な思いが出てしまったのです。

恐怖心も怒りも、悪魔の軍隊です。

悪魔は恐怖心を起こさせたり、怒りを掻き立てることで人間を支配しようとします。

救国植福では、天照大神をまるで祟り神のように仕立てて、信者の皆さんを恐怖心からの植福へと駆り立てました。

恐怖心を煽(あお)って人々の心を支配する手法は、どんどんエスカレートしています。

未来予言の恐怖映画によって恐怖心を煽り立て、国民を教団へ囲い込もうとしたのも、その延長線上にあるものです。

あなたは降魔型エル・カンターレ像を推進する役目を、自ら進んで引き受けました。

この時にあなたの心にあったのは、中国の侵略への恐怖心でした。

降魔型エル・カンターレ像に中国侵略を食い止める力など全く無い事は、

大川総裁がこの像の功徳に関する会員さんからの質問に対して、全く的確な回答が出来なかったことで分かったはずです。

これは単なるお金集めの手段に過ぎないのです。

それどころか、非常に危険な宇宙人の波動を引き寄せてしまい、害があるものなのです。

あなたに中国への恐怖心があったので、冷静に正しく見抜くことが出来なかったのです。

いいですか、あなたは恐怖心で動かされてきたのです。

恐怖心があなたの心に相当刷り込まれているのです。

特に選挙の時には、進んで街頭演説をしたので、自分で自分を洗脳し、恐怖心を刷り込んだのです。

それと共に、あなたの心には怒りが入り込みました。

民主党への怒り、マスコミへの怒り、国民への怒りなどです。

これが阿修羅の波動である事に気がつかず、あなた自身が正義の名の下に世を裁く「裁きの神」になろうとしていたのです。

正義の名の下に行動し、しかもその底に恐怖心が潜んでいる時は、怒りの歯止めは失われます。

あなたは阿修羅に取り込まれる恐れがありました。

目を覚まして下さい。

恐怖心は己の心の内なる魔なのです。

怒りも自分の心の内なる敵なのです。

平和な心こそが平和な世の中を創るのです。

愛の心が無ければ、悪魔に取り込まれてしまうのです。

恐怖と怒りは悪魔の軍隊なのです。

それに踊らされてはならないのです。

理性的な政治的判断には、恐怖心も怒りも不要です。

それらはむしろ正しい判断の妨げとなります。

危機感はあったとしても、決して恐怖心や怒りに心を譲り渡してはなりません。

長年にわたって、あなたの心に刷り込まれたものに、まず気付いて下さい。

それが洗脳解除へのスタートなのです。

(2012年8月8日)

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9.html

http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-344.html

 

職員同士の連帯が本当に薄い、どちらかというと足を引っ張り合う組織となっていきました。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)21時25分41秒
  深層潜在意識との対話2 Aさんとの事

私をTと表記し、深層潜在意識をSと表記します。

ロール・レタリングの手法での対話を行います。

T 出家して、最初は編集部に配属になりました。

もともと編集者として入局したのでした。

私が最初に通ったのは、秘書のHさんの家を間借りした和室の事務所でした。

私が入った時には、編集部員としてすでにAさんがいました。

私より少し若かったと思います。

優秀論文を書いていた人で、GLAで学んだ人でした。

よく議論しました。

私が光一元論で彼が善悪の二元論で、中々議論がかみ合いませんが、こういう哲学的な話をする人に出会えて、凄く刺激を受けました。

彼は私と、いい意味でのライバルだったと思います。

その後私が事務局に行き、彼が編集部に残りました。

私は地下の事務所に移りましたが、夏が過ぎる頃には、さらに事務所が西荻窪駅徒歩一分のビルの1階に移る事になりました。

凄く発展のスピードが速かったです。

その間、Aさんとはほとんど話す機会がありませんでした。

Aさんはその事務所移転の頃、凄く心境的にぶれていて、電話で私と引越しに関する話をした時に、感情的に攻撃的に話をされたために、凄く嫌な気分を味わいました。

最初の大家でもあったHさんは、自宅をさらに増改築して、従来の編集部を自宅にそのまま残すように画策され、Aさんを精神的に囲い込んでいたように感じました。

Aさんの不調は、そこに遠因がありました。

「Aさんは魔に入られている」と、大川主宰から言われました。

Aさんは優秀な人だったので、会のなかでも持ち上げられたので、慢心が起きたようで、そこを狙われたということでした。

大川主宰は、「Aさんを助けられるとしたら種村さんしかいない。彼と話してくれないか。」と言われました。

しかし私は、その直前のAさんとの嫌な会話を思い出し、それをお断りしてしまいました。

Aさんは私に言われるのは嫌だろうという気がしたからです。

本当は私が嫌だったのかもしれません。

競い合っていていた私から言われることが、彼が傷つくように思ったのですが、その思いにはすでに「乗り移り」の影響を受けていたと思います。

私が断った時に、大川主宰は「これでAさんは助からないな」と言われました。

結局、Aさんは、Hさんの影響を受けて、会を離れていきました。

大川主宰は道場で開かれたセミナーで、彼を失ったことを自分の反省としてお話されました。

Aさんは釈迦の十大弟子の一人阿難陀の生まれ変わりであり、スピノザや禅宗の有名なお坊さんとして、過去に転生している事になっていましたので、当時は凄く大きな事件でした。

私は大川主宰の申し出を断って、何もしなかったことを、後々まで凄く悔やみました。

Aさんが離れてしばらくした頃、大川主宰は、「Aさんは私の死んだ後、私の息子の代になって教団に戻ってくるだろう」と言われたことがありました。

それゆえ私は長生きをして、その時に彼を信仰へとお誘いしたいと、真剣にそう考えて来ました。

それがせめてもの罪滅ぼしだと思ったからです。

しかし、教団自体が今のような状態になってしまうと、彼はあの時に離れたことが果たして悪い事だったか否かは、何とも言えません。

むしろ良かったのかも知れないという気持ちが起きてきています。

深層潜在意識さん、私に彼との事を、どのように捉えれば良いのか、また私が真に反省すべき点は何処にあったのか。

教えて下さい。

S 振り返るべき点は、まずAさんとの話で心の毒を喰らった事です。

Aさんとの電話で彼の心の毒を喰らい、あなた自身が「乗り移り」の影響を受けたのです。

だから感情が非常にぶれたはずです。

そこに出た思いは嫌悪です。

「乗り移り」の影響を受けると、極端な感情のブレが生じやすくなります。

あなたはその時にこう思いました。

「彼は私より高く評価されていたが、今彼は評価が地に落ちてしまった。

評価が逆転した自分と会うのは嫌ではないか。

私なら今まで下にいた人に説得されるのは凄く惨めであり、凄く傷つくに違いない。」

そう考えていました。

しかし、ここには愛がありませんでした。

彼を魔の攻撃から救い出そうという気持ちがなかったのです。

それはAさんとの電話で、心の毒を受けてしまい、非常な嫌悪を感じていたからです。

法友を救うことより、自分の感情を優先したのです。

その反作用で、あなたはしばらく天上界との交流が遮断されました。

それは自分の心の曇りにより、遮断してしまったのです。

高級霊もあなたにはしばらく近づけなかったのです。

あなたは、そのことで塗炭の苦しみを味わい、自我の角が折れ、少し謙虚になりました。

そこにようやく救いの手が差し伸べられたはずです。

そうした前後の心境と状況を見る限り、大川主宰からの依頼を断ったことは悪であったのです。

やはりあそこは、自分の自我を捨てて、嫌悪の情に打ち勝って、彼を連れ戻すために全力を尽くすべきであり、それがあなたの試験でもあったのです。

愛の架け橋を職員同士の間に架けるカルチャー。

これが生まれる可能性があったのに、それを自分が潰したかもしれないという反省は必要です。

その後、職員同士の連帯が本当に薄い、どちらかというと足を引っ張り合う組織となっていきました。

この教団は一人一人が非常に孤独なのです。

本当の意味で、心を開いての自己開示が出来ません。

あなたに限っていうならば、どちらの悟りが高いか低いか、それを常に探り合っていたのです。

特にお坊さん同士の会話では、それが見え隠れしていました。

そして、高いと思えばあなたは学ぼうとしますが、同時に内心の焦りを感じていました。

低いと思えば、学ぶべきものが無いように思って、人との間に垣根が出来、己を高く見ていたと思います。

これは試験制度の弊害でもあったのです。

常に点数を競い合う受験生には、真の連帯や友情が育ちにくいのです。

ライバルでもあるからです。

試験制度で何点を取ったかで競わせる方法論は、競争原理を入れて人材を鍛えたし、本の売り上げを伸ばしましたが、横のつながりの極めて出来にくい組織も作ったのです。

あなたは特に、人との交流より自宅に戻っての勉強に力を入れました。

それにより、孤独な宗教家になりがちだったはずです。

以上の事から、やはり友が危機に陥っている時は、忍耐強く働きかけ、常に手を差し伸べることが重要です。

「乗り移り」、要するに霊障もしくは悪霊憑依が発生していても、愛に勝る悪魔は無いことを信じて、善意の働きかけを止めないことです。

自分は通路になればよかったのです。

愛の通路です。

あなたを使って天上界の指導が臨み、天使の働きが彼を導くことを信じて行えばよかったのです。

彼の手を握ろう、決して話さないで握り続けようとするだけで良かったのです。

その意味で、あなたは自我でやらねばならないと考え、それは出来ないと結論付けてしまったのです。

あなたは天上界を信じ、Aさんの魂を信じて、ただ「自分を彼のためにお使いください」と祈るべきであったと思います。

T ありがとうございます。

あの時私がどう考え、どうするべきであったかについてはよく分かりました。

今後、同じような局面が出たら、今度は今指摘して下さった事をやりたいと思います。

ところで、現時点でのAさんへの思いというものは、どのように持たせて頂ければいいのでしょうか。

S 彼には彼を指導する方がおられます。

何処にいても、天上界はあなたや彼を見守っているのです。

超越潜在意識からの働きかけも、深層潜在意識からの働きかけも、常にあるのです。

どこかの教団に所属しなければ、そうした働きかけが無いという訳ではありません。

あなたは、今までこの教団を特別な存在と考えすぎ、地球の天使の大半が指導していると思いすぎたために、

この教団から離れることを、地獄の中へ堕ちていくように錯覚しがちであったのです。

よいですか。

この世は大宇宙を創造された根本神が創られた世界なのです。

何処にいようと、必ず導きがあるのです。

現にあなたはその体験をしたではないですか。

そして、いまこの教団から除名されて、ますますこうして自分の深層潜在意識からの指導も受けるようになってきているではないですか。

それを信じなさい。

どこかに属さなければ不安であると思い、恐怖心でそこに縛られる思いは捨てなさい。

恐怖で縛り付けるのは、地獄の世界のことでしょう。

天国は、自分の自由意志に基いて自由に出入りできるところです。

AさんにはAさんの今世の魂の学習課題があり、それに基いて相応しい導きがあるのです。

彼は、あなたがなし得なかった尊い修行をされているのです。

縁がある以上は、再び出会うことは可能です。

愛が有る限り、彼にとって必要な時に、再び引き合わせられる事になるでしょう。

その時に、あなたは彼の幸福のために、自分が出来ることをして差し上げなさい。

その時こそ、真なる神の愛の通路になろうと願いなさい。

自分を何時までもいじめたり、裁いたりすることは、もう止めなさい。

T ありがとうございます。

心が軽くなりました。

今は私の目の前にいる方たちを愛する事に全力を尽くさせて頂きます。

Aさんのために私が何かお役に立たせて頂きたいと祈ります。

ご指導、ありがとうございました。

(2012年8月6日)

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_7.html

http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-343.html

 

正しき心の探究とやらはどこにいったのだろうと私は思います・・。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)08時13分40秒
  >心の安らぎなどまったくありません

私もこの点は同意します。

私は選挙を境に会から離れ今は休眠会員とやらです。

送られてくるメールを見て思うのですが・・

正しき心の探究とやらはどこにいったのだろうと私は思います・・。

近年のメールを見るとこう・・

ネッシー、猫型宇宙人、バルタン星人はまだしも・・

無限の富、大富豪etc・・

何やらこうマルチみたいな団体になってしまったような気がします。


http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_3.html

http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-340.html

 

実は義妹が過去の罪を全て仏の慈悲によりなくすという奇妙奇天烈な高額祈願を受け、完全に動物霊に魅入られました。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)08時09分21秒
  読者からのメール3

読者の皆様からいろいろメールを頂いておりました。

コメント欄に載せる代わりに、ここで紹介させていただきます。

なお、プライバシー保護や私信で送られてきたものと公開するときのスタンスの違いなどに配慮して、一部編集させていただいております。

<Hさんからのメール>

私も種村修氏と同じ宗教法人に会員として活動した経験が20年あります。

結婚も当時の支部長が、「一生この活動をする気なら会員同士が良い」との勧めで、婚活時期でしたから、タイミングよく出会った女性と一緒になりました。

私の入会のきっかけはというと、私はちょうど仕事と結婚問題に行き詰っていました。

悩んでいたこの時期にある人から書籍を進められて、何かに救われたいという思いで読みあさりました。

高級霊の啓示という形で書籍が本屋に並び、理解できないこともありましたが、涙が溢れることもあり、これは心の声なんだと信じきって入会しました。

今、思えば心の闇に悪魔が食いついたと感じます。

入会して、支部恒例のクリスマス会に出ました。

純粋そうな女子大生が突然泣き崩れ、有名な霊人のような感じでものすごい演説を始めました。

その子は完全に体を乗っ取られ仲間を叱ったり、励ましたりします。

皆驚いて「奇跡が起きた」といいました。

幕末の志士のような霊人が、今度は別の若い男性に乗り移り暴力を振るったりします。

不思議でしたが霊現象は初めてです。

何か自分が特別な人間だと信じるようになりました。

今、思えばもっとも危険な考えです。

教祖は絶対だと信じきる、または信じたいという心の中には、自分の社会的状況と立場に納得できないという劣等感がありました。

その劣等感を埋めてくれる気がして、支部に通い、仲間と一般常識では考えられない教祖の話をして、自己満足に浸りました。

でも、そこを離れたらまた現実に逆戻りです。

教祖が唱える世紀末論を信じきって、早く天変地異が起きて人類の大部分が死に絶え、私たちの理想郷が来れば良いのにと思う気持ちが当たり前のようになりました。

そこには愛とか優しさとか、教えの中にあるものとまったく逆でした。

意外と皆さん、恐れ、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、心配事、人が許せない、ついてない等の言葉が多く、私もその中の一人でした。

ただ、自分たちは特別な選ばれた人間だという気持ちが自我を満足させて、覚せい剤のように逃避の材料になっていたと思います。

よく我が家が集会に使われました。

一見人が良さそうな方たちです。

でも、金銭等の話や自己実現等の話になるとまったくかみ合わず、教祖を信じて指示通りにすれば間違いないとのことでいつも終わります。

私は孤独感が募りました。

狂ったような神風式の伝道のおかげで昔の友人も離れ、心の安らぎなどまったくありません。

その後は成功理論等を教祖から学んだり、高額な祈願等を受けました。

人生の曲がり角(転職等)には、やはりまだ信じたいという気持ちがあり、支部長の巧妙な誘いに負けて、考えられないような金額の研修等も受けました。

結果は更なる悲惨な人生を歩み転落の一途です。

不思議なくらい堕ちていく私を見て家内も私を見限り始めました。

これはおかしいと感じ、図書館で偶然つかんだ本で、疑問が一度に解けました。

友達にそれを勧めると、その人も布施をしなくなりました。

家内とその家族からすれば仏敵です。

家はぐちゃぐちゃになり、離婚しました。

その後、人生のリハビリをして心を立て直していくうちに、不思議とひらめきが来て、心の声に従うと奇跡が起きました。

不可能とされていた、世界一のシェフが考案した、料理の概念を超えたといわれる調理法、調理名の製品を流通させるように形状安定化に成功しました。

世紀の大発見といわれる発明が出来たのです。

特許を出願しました。

新たな地場産業に官民共に期待していただき、現在は創業支援を受けながら、世界初の製品を製造、販売まじかです。

最高に幸せな日々です。

思い出しました。

実は義妹が過去の罪を全て仏の慈悲によりなくすという奇妙奇天烈な高額祈願を受け、完全に動物霊に魅入られました。

精神病院直行です。

ある人が曰く。

神は正当な努力を求める。

動物は努力をしない。

そんな努力が要らない祈願を受けたらどんどん運勢が堕ちるよ!

面白がって行っちゃだめだよ!と言いました。

前宗教は目の前で、その言葉の正しさを証明してくれました。

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_3.html

http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-339.html

 

信じなければならないのは、教祖や教義以上に、自分自身の〔善我〕なのだ

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)04時11分52秒
  《幸福の科学との決別》

89年の6月15日に、私は「嘆願書」を提出した。

「私はかねてより、自分の器の小ささを自覚しておりました。

したがっていつも、幸福の科学のスタート時点にささやかなお手伝いぐらいしかできないと決めて頑張って参りました。

今ちょうど幸福の科学は最初の走り出しが終わり、これからは発展がとめどもなく続くという時点にきていると考えます。

私の役目もひと区切りついた今、健康上の問題もあり6月一杯で、全ての役職、職務を降りて一会員とさせていただきたく嘆願いたします」

このときは、退会しようというハッキリした気持ちがあったわけではない。

役職についていることが、もう苦痛でたまらなかったのである。

ロンドンへ渡り、医師にかかりながら、しばらく静養することだけは決めていた。

大川も「それならしかたない」と一カ月の休暇をくれた。

7月に入って、大宮で大講演会が催された。

会場の入口には長い列ができ、聴衆は数千人にもふくれあがった。

その日は、私が司会者をつとめることになっていた。

(先生には申しわけない)

大川の講演を聞きながら、そんなことをしきりに思った。

いつものように演壇の隅のイスに座り、聴衆に対していた私の目に映る人々の顔、顔、顔。

そこにいるすべての人が、なぜか愛しくてたまらなかった。

講演会は大成功だった。

無事に終了したとき、いつにも増してホッとした。

自分の役目がすっかり終わりでもしたかのような、快い虚脱感をおぼえた。

翌日も、その翌日も、私は出勤しなかった。

そのまま出立の日がきて、私はロンドンへ向けて機上の人となった。

ロンドンでは晴れあがった青空が私を歓迎してくれた。

本部の細田事務局長に宛てて正式な辞表を送ったのは、一カ月後のことである。

二週間ほどすると、100人近くいた職員全員からのラブコールが届いた。

「早く戻って来て、また一緒にやりましょうよ」と、

趣向を凝らして寄せ書きされた七枚の色紙。

それを手にして、涙が出るほど嬉しかった。

しかしそのときは、もう私の心は決まっていた。

これからは一人で充分だ。

一人で修行を重ねていこう。


《おわりに》

86年に、新宿の割烹料理店で大川先生に会ってから三年半。

私は素晴らしい体験をさせていただいたと思う。

私にとって、それは二度目の青春であった。

霊性時代の樹立という情熱に燃えた日々。

一途に情熱を傾けるものがあるとは、なんと幸せだろう。

いまは、1993年の秋である。

大川先生と最後にお会いしてから、すでに四年の歳月がすぎている。

ロンドンから戻った私の顔を見て、先生は嬉しそうに笑いながらこう言った。

「関谷さんにはうってつけの仕事があるんです。

テープと書籍を専門に販売するミニショップを、キヨスク方式で全国展開してもらいたいんだよ」

「いや、それは……」という私に「いや、こういうことは関谷さんしかいないんだ。実践で頑張ってください」

たぶんそのときはじめて、私は大川隆法という人に、かすかな憐憫の気持ちをいだいたように思う。

この四年のあいだには〈幸福の科学〉にも私にも、いろいろなことがあった。

しかし、神理探究の団体〈幸福の科学〉を離れた私は、かつての求道心を忘れただろうか。

霊性時代の樹立という理想が薄らいできただろうか。

いや、むしろますます求道心に燃え、より強く理想を求めている。

私はこの本の中で、大川先生と〈幸福の科学〉について批判的に語ってきたかもしれない。

その心は、大川先生への個人崇拝と、あまりにも露骨な拡張路線に対する、OBとしての危惧である。

〈幸福の科学〉はダメだ、と言いたいのでは決してない。

それどころか、〈幸福の科学〉にはまだまだ大きな役割があると信じている。

これまでの自己中心的なご利益信仰の段階から、精神的な世界へ覚醒を促す役割。

物質欲に支配されず、心にしたがって生きる理想を説く役割である。

霊性時代の樹立という〈幸福の科学〉用語を繰り返し使ってきたが、それは、この理想が社会的にも実現するときを意味している。

大川先生は、この理想をわかりやすく、ときには面白おかしく私たちに教えてくださったのである。

たとえ世間で言われるように、先人の言葉のパッチワークであってもいい。

浅く、軽い教えでもいい。

もしかすると、批判記事を書いた出版社へデモをかけるのもいいかもしれない。

それによって、この人たちが言っている霊性時代とは何なのだろうと考える人が一人でも増えるなら。

物質的な原理を超えた理想に、人々の眼差しを導く。

それが〈幸福の科学〉に、神が与えられた会の存在理由ではないだろうか。

いま、改めて、愛をもって幸福の科学の存在意義に拍手を贈る。

最後に、私と同じように、幸福の科学を卒業した数百万人の人達、

そして、さまざまな宗教団体の中で疑問に苦しんでいる人や、多くの宗教難民にはこう伝えたい。

信じなければならないのは、教祖や教義以上に、自分自身の〔善我〕なのだ、と。

心の奥底に埋もれていた〔善我〕にこそ、神が、法が、すべての聖書・仏典が、既に内在されていたのだ、と。

そして、自分が変容してこそのユートピアなのだ、と。

一時は、誰の心も難民としてさまよい師を求めた。

が、しかしそれらはみんな必要なプロセスであった。

我ら求道者の命は、まさに〔日々是転生〕。

一日一日新しく生まれ変わって成長していく。

汝(己)自身を知る(悟る)ために新しい学習も必要であった。

賢人の訓示も、大いなる参考とはなった。

いままで、外部から何かを吸収し続けてきた。

しかしそれでも、変容し切れなかった自分

最後にもう一歩

生きたこのままで転生し理想の人生を生きたいと本心から望むなら

己自身の〔内なる光〕を掘り起こそうではないか!

素直に自分を振り返ってみよう

過去の幾つかの出来事の一つ一つがその出来事こそが悟りに至るための、最高の神示ではなかったか?


神仏の 光求めて 幾星霜

悟ればほとけ 我が心なり

       高橋信次




私はいま内在された偉大なる仏智と出会うための自己啓発法、D・I・L(ディスカヴァー・インナー・ライト)の研究に打ち込んでいる。

研究成果をいずれご披露できる日もあるだろう。

私にこのような道を歩ませてくれたのも、決して皮肉ではなく大川先生であり〈幸福の科学〉であった。

幸福の科学を卒業したからこそ、現在の自分があると感謝している。

願わくば幸福の科学自らが、でき得るならば私の初期の理想のように、

独創性をもった〈神理学習学校〉に軌道修正して、愛ある上昇飛行されんことを祈るばかりである。

http://sakurakaory.blog.fc2.com/blog-entry-38.html

http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-337.html

 

大川の説く神理に実践がともなわなかったように、会員の数も実態のともなわない数字でしかない。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月25日(木)02時08分20秒
  《これがフライデー事件の真相だ》

あのフライデー事件における〈光の戦士〉たちの行動を思い出してみよう。

フライデー事件の背景となったのは、大川が90年に発表した「サンライズ計画」、翌年の91年にブチあげた「ミラクル計画」による会の極端な膨張である。

私が退会した89年には実数で1万数千人の会員がいた。

それが90年になると、わずか1年間で17万に増えている。

さらに「ミラクル計画」では、91年に100万人、92年に300万人、93年には会員1000万人を目標に設定した。

正常な判断力があれば、この計画そのものに、すでに異常が潜んでいることに気づくだろう。

しかし、仏陀が掲げた目標である。

会員を動員し、出版、新聞、テレビ・ラジオを使った大キャンペーンが打たれる。

その経費が20億円とも言われている。

その結果、91年には200万人を突破し、92年をすぎると、会員のあいだでは500万、700万という数字が噂されるようになる。

仏陀の宣言した目標は着実に達成されているのである。

もし、この数字がほんとうに達成されていると信じる会員がいたら、おめでたいと言うしかない。

私のところへ集まってくる話では、実数はせいぜい100万人。

しかも、そのほとんどは、おつきあいで入った月刊誌だけの誌友会員である。

熱心な会員と呼べるのは10万人程度ではないだろうか。

大川の説く神理に実践がともなわなかったように、会員の数も実態のともなわない数字でしかない。

それでも目を見張るような発展ぶりである。

86年に開かれた発足記念座談会の聴衆は わずか70人。

それが5年後には、東京ドームを満席にするのである。

たいへんな躍進と言わなければならない。

しかし、出るクイは打たれる。

短期間に急成長を遂げ、紀尾井町ビルのワンフロアを借り切って、華々しいキャンペーンを繰り広げている新宗教に、マスコミが噛みつかないはずがない。

霊能力者ならずとも予想できることである。

案の定〈幸福の科学〉バッシングが始まった。

″御生誕祭″の二カ月後、写真週刊誌『フライデー』に批判的な連載記事が掲載される。

「急膨張するバブル教団『幸福の科学』/大川隆法の野望」。

記事は悪意と中傷に満ち満ちたものだった。

すでに自分の生活に戻った中原幸枝のプライベートにまで、無遠慮にカメラが向けられた。

なかでも大川を激怒させたのは、「学生時代の大川はうつ病で精神科医にかかっていた」という箇所だった。

名誉棄損罪で出版元の講談社と、フライデー編集長を東京地裁に告訴。

講談社には300人あまりの会員が抗議デモをかけ、同時に抗議電話が殺到。

ファックスも絶え間なく送られてくる抗議文に占領されて、業務にも支障をきたす事態になった。

「これは宗教戦争であり、聖戦である」

大川はそう宣言している。

前後の会の動きを、私が知り得たところをもとに再現してみるとこうなる。

まず、会としての対応を検討するために、紀尾井町ビルの本部に課長以上の幹部40名ほどが招集された。

会議は前後二日におよんでいる。

最初は「こんな写真誌の記事は無視しょう」という穏健な意見が大勢を占めていた。

それに対し、大沢敏夫ら数人の幹部が

「そんな意気地のないことでどうするか」

「今こそ仏陀様に恩返しするときである」

と強硬に主張して譲らなかった。

両者の議論は白熱し、会議というよりはケンカに近い様相を呈してきた。

このとき穏健派を代表していた幹部の一人、前川節が主宰室に呼ばれている。

何事かを大川と話し合い、再び席に戻った前川はすっかり大沢グループに豹変していた。

これがその場の情勢を一変させる。

〔正義のための闘い〕へ向かって動き出したのである。

この会議の最中、大川家から二度ほどファックスが送られてきた。

「大衆受けするよう整然とした隊列をつくること。目立つように盛大におこなうこと」

といった内容が記されていた。

講談社への抗議デモの具体的やり方を、主宰夫人が指示してきたのだ。

おそらく抗議デモの一件は、大川夫妻と大沢のあいだで、あらかじめ決定されていたのだろう。

会議の参加者は、そのまま中野にあるオリンピックビルの研修場へ移動した。

そこには すでに、関東支部の会員300人ほどが動員されていた。

彼らを前に、大沢、そして大川が拳を振り上げながら熱烈なアジテーションをおこなっている。

「我われは、魔に対して断固として闘う。キリストをはじめ、天上界の天使たちもそうせよと言っている」

と、天狗の団扇を正面に突き出して宣言したのだ。

右の頬を叩かれたら左の頬を出せと説くキリストが、まさかそんなことを言うとも思えないが、霊言とはまことに便利なものではある。

かくして、講談社へのイヤガラセ部隊の出陣となった。

しかしこの滑稽劇にはまだ続きがあった。

デモ終了後、会員たちは再び研修場へ戻り、講談社への抗議文を書かされた。

ほとんどの参加者はそのとき渡されたコピーで、はじめて記事を読んだ。

主宰先生の結婚式の写真なども載っていたから、大川の私生活については何も知らされていない会員たちは、大喜びで読みふけったという証言もある。

デモで疲れているのに、さらに「抗議文」を書けという。

被害を受けた感じもしないので何を書いていいかわからず、戸惑った参加者も少なくなかったらしい。

こうした会の対応が世間の批判を浴びると、景山民夫らが中心となって「講談社=フライデー被害者の会」を結成し、市民運動を装いながら抗議を法廷へ持ち込んだ。

もちろん市民運動でも何でもない。

言うまでもなく、〈幸福の科学〉本部の指示でつくられ、命令にしたがって動いている。

また抗議電話や抗議ファックスに関しても「止むに止まれぬ気持ちから会員が自発的におこなったもの」と会は釈明したが、

たとえ止むに止まれぬ気持ちからでも、本部からの指令に基づいていたであろうことは断言してもいい。

会の体質からして、大川の指示がなければ何一つできないのである。

阿南事件で残った古い会員もフライデー事件をきっかけに多くが会を去っている。

拡大拡大できた会員の獲得もかげりが現れ、資金面で行き詰まっていると聞く。

フライデーは、まさに〈幸福の科学〉のつまずきの石になった。

景山民夫や小川知子らが、もうしばらくの間は続けるであろう熱唱にもかかわらず。

そこで思い出すのが、昭和31年に起きた立正佼成会の読売事件のことだ。

昭和31年1月から、読売新聞は大々的な反・立正佼成会のキャンペーンを張った。

発端となった土地買い占めは、会そのものとは無関係だったことが間もなく判明するが、

キャンペーンは教団幹部への個人攻撃や教義内容の批判へ発展し、およそ3カ月間にもわたってつづいた。

36万の信者世帯をわずか1年で30万に激減させたというから、その激しさを想像できる。

これに対し立正佼成会は、関係機関に内部調査の結果を配った以外は、完全に沈黙を守った。

「読売の記事がウソなら佼成会は告訴すべきではないか」という声にも、報復は宗教団体のとるべき道ではないとして動こうとしなかった。

攻撃の止んだ4月になって、次のような文章が『佼成新聞』に発表されている。

「われわれは批判に対してなんら躊躇する必要はないし、むしろ私どもに足りない所があるなら、もっともっと新聞に書いて、諫めていただきたいくらいです。

衷心から感謝申し上げると同時に、私どもはいつでも多くのかたの批判をありがたく頂戴し、自分に至らないところがあれば、即座に直すだけの寛容さがなければなりません」

そして、自分たちを高めてくれる師として″読売菩薩″と呼んだのである。

このようなものを反省と言うのではないだろうか。

これに反し

「反省とは自らを省みるということ。

他を責めるという気持ちから、自らをもう一度振り返ってみる。

こういう考えが大事です」

(『不動心』)

こんな一般論を、いくら口先でしゃべってもダメなのだ。

高橋信次は「反省こそが法なのだ」と繰り返し語っている。

「人につかず、組織につかず、法につけ」 は生前の口癖だった。

フライデー事件は、人につき、組織につき、かわりに法をなくしてしまった会の実態を衆目にさらしたのである。

仲間と一緒に夢を抱き、命懸けでつくりあげてきた〈幸福の科学〉。

こんなものをつくるために、私たちは人生をかけたのか……。

それはすでに、私たちがつくろうとしたものとは、まるで違うものだった。

──中原よ。

君は「信次先生のご逝去以来、ようやくの思いで心の師となる人を見つけることができた」と私たちに語った。

あのときの輝きに満ちた君の表情を今も思い出す。

しかしその人は、少なくても私たちの心の師ではなかった。

それでは、いったい何が私たちに、あの青年を心の師と思わせてしまったのだろう。

中原よ。

あれほど厳しく自分の心を見つめようとしていた君も、阿南も、私も、

肉体を持つ誰かに神を、生きる指針を見いだしたかったのだろうか。

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反省のないところに、正しい発展はあり得ない。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月24日(水)12時00分41秒
  光の天使から戦士へ
必然だったフライデー


《「光の天使」から「光の戦士」への変質》

1989年(平成元年)は、学習団体から伝道団体へと〈幸福の科学〉がその性格をハッキリと転換した記念すべき年である。

人材の用い方にも、拡大路線がはっきり現れてきた。

中原や阿南がいなくなり、かわって大川が耳を傾けるようになったのは、営業や組織づくりのベテランの声だった。

○○生命営業本部長の黒木文雄、熊本で不動産業者として成功していた坂本頼男。

創価学会で会員集めに活躍した大沢敏夫などが、会を動かし始めていた。

大沢敏夫の登場についても、私は内心悔恨たるものがある。

会の発足記念座談会で、大沢が「リュウホウ先生、リュウホウ先生」と発言したことは、すでにお話しした。

その後も大沢からは、「リュウホウ先生の下で活動したい」というようなアプローチが何度かあった。

しかし申し出は、やんわりと拒絶されている。

彼の辣腕に会をかきまわされるのを大川は心配したのである。

会の基礎が固まり、拡大がテーマになって、大川が思い出したのが大沢だった。

あれほど敬遠していた大沢に連絡をとり、職員になる気があるかどうか確かめよという指示があった。

その交渉役がまた私にまわってきた。

すでに私は、異を唱える気力も失っていた。

会全体にもワンマン社長というより神として、その言葉には絶対服従であるという暗黙の了解ができつつあった。

大沢との話はうまくまとまり、まずは相談役という立場で〈幸福の科学〉を応援してもらうことになった。

本部には草創期の情熱とはまた違った熱気がみなぎっていた。

そんな雰囲気の中で、あるとき関東地方の青年部の集会が開かれた。

そこでは、私が講演することになっていた。

拡大路線をひた走る会の将来を危惧していた私は、反省についてじっくり語ってみたいと思った。

ご存じの方も多いと思うが〈幸福の科学〉では大川の説く「現代の四正道」が教義の柱になっている。

「愛」「知」「反省」「発展」の四つを幸福の原理として、自らの心を探究していこうという教えである。

まわりが発展と知ばかりだったから、私一人ぐらいは反省を説かなければという気持ちだった。

反省こそ自己確立の最短コースであると、事あるごとに私は述べていた。

自分の人生を振り返ることが、一番の修行法であり、また千に一つの間違いもないということを、私は講演会のたびに繰り返し強調してきた。

だから、この点にかぎっては私は青年部にひどく受けが悪かった。

理由はハッキリしている。

〈幸福の科学〉の会員、とくに若い会員たちは、反省など大嫌いだったのである。

そんな面倒なことは避けて通りたかったのだ。

性懲りもなく、この日も私は反省の必要を訴えた。

私の話が終わると、関東地方の世話役だった俳優の北原宏一がマイクの前に立った。

彼もまた反省の嫌いな部類だった。

「反省など要らない。〈幸福の科学〉にこんな教えがあるのがおかしいんだ」

何人かの委員がハッとして私のほうを見た。

「おまえたちは若いんだ。反省なんかしているヒマがあったら、外へ出て何でもいいからやってこい。何でもいいから会のために行動しろ」

こんなアジテーションが若い会員には受けた。

世話役といえども部外者の北原が、本部講師の講演にイチャモンをつけるなど、本来なら間違ってもあってはならないことである。

しかし〔会のため〕と言えば、それも許されてしまう。

そんなところにも学習団体から伝道団体への会の変質が現れていた。

私の記憶では、この北原が〈光の戦士〉という言葉を最初に使ったのではないだろうか。

ある集会の席でこう発言したのである。

「私は〈光の天使〉にはなれないかもしれない。しかし〈光の戦士〉になら、なれる。喜んで会のために戦う〈光の戦士〉となりましょう」

それ以降〈光の天使〉よりも〈光の戦士〉のほうが、この会のアイデンティティーを示す言葉として一般的になっていく。

大川の言う〈光の天使〉とは菩薩であり、利他行の実践者のことである。

一方、〈光の戦士〉は伝道者、ありていに言えば新しい会員を獲得し、たくさんの人を集める活動家である。

天使から戦士へ。

これほど〈幸福の科学〉の変質を端的に物語るものが他にあるだろうか。

後のフライデー事件の際に示された天使とは思えない攻撃的な姿勢も、実はここに始まっていたのである。

北原の演説に湧き立ち、目を輝かせている若者たちを、私は講演者席から淋しい思いで見ていた。

この会での私の仕事はもう終わったのかもしれない。

去るべきときを私は漠然と予感した。


《必然的だったフライデー事件への道》

私たちの〈幸福の科学〉では、大川隆法の説く「愛」「知」「反省」「発展」の四つが幸福の原理とされた。

しかし今の会には「発展」だけが残り、ほかの三要素はすっかり抜け落ちてしまったという印象が私には強い。

まず〔愛〕主宰先生には素晴らしい愛の言葉がある。

しかし、愛の実践はどこにも見つからなかった。

実践なき愛に何の意味があるだろう。

〔与える愛〕などという言葉は知らなくても、生活の中で自然にそれを実践している人たちのほうが、はるかに高次元の魂である。

自宅前の道を掃くついでに、隣の家の前も掃いている主婦。

電車の中でお年寄りに席を譲る少女。

夜遅くまで同僚の残業を手伝ってしまうサラリーマン。

大川の本を読んで愛の発展段階をおぼえる前に、会員はそういうありふれた愛の実践をおこなっているだろうか。

もし〔伝道は与える愛の実践です〕(大川きょう子『愛を与えることの幸福』)などと言うのなら、あまりにも人を喰った話ではないか。

次に〔知〕私たちはこれを求めてきた。

そのために学習団体をつくった。

しかし大川が導入した試験制度は、彼の神理を一方的に受け入れるだけの〔受験勉強〕に学習を変えてしまった。

考えるという、本来の学習は必要ではなくなったのだ。

──宗教法人「幸福の科学」は〔人間にとってほんとうの幸福とは何か〕というテーマを考えていく人びとの集いです。

会の出版物にはそう書かれている。

しかし自分で考える人間は、阿南のように去っていかなければならない。

〈幸福の科学〉では考えてはいけないのである。

〈幸福の科学〉の優等生になりたい、試験でいい成績をとって表彰されたい読者のために、かつての採点者として、受験テクニックをご披露しておこう。

回答には体験的な含蓄のある話は避けること。

霊言集の暗記に精を出し、抽象的な理論を展開し、できるだけきれいごとで終わらせること。

実人生の体験から神理を語るようなことは、ゆめゆめしてはならない。

どんなに神理に迫っていても高く評価されない。

さて三つ目は〔反省〕である。

イエスも仏陀も最初に反省を訴えた。

ときには、それを厳しく強いてもいる。

大川も幸福の原理の一つに反省を挙げた。

自分の心を見つめる反省こそ最高の修行法である、と説いたのは高橋信次である。

想念帯の曇りを反省によって取り除いていけば、誰でも本源の神に通じることができる。

それが彼の教えの核であった。

大川が反省を挙げるのも、こうした高橋の教えの影響を強く受けているからだろう。

しかし〈幸福の科学〉には何の反省行もなかった。

そこが大きな問題であると、私は常々感じていた。

最近になって90年2月『実践反省法講義』テープを聞いてみたが、そこにも世間で言われているような〔軽く浅い〕説法があるだけだった。

この講話でも大川は、反省が天上界につながる絶対条件であると一応は述べている。

高橋信次そのままだから、そんなことは高橋の本を読めば誰にでも言える。

しかし知らない人はここで「大川隆法はすごい」と思ってしまうのである。

大事なのはそんな理屈ではなく、ほんとうの反省があるかどうかである。

では大川の反省法とはどのようなものか

・「小欲知足」を理解しなさい。

・他のせいにするな、原因はすべて自分にあると理解しなさい。

・自分の欠点を修正していく努力が大切であると理解しなさい。

この三つが講義の柱になっている。

頭で理解することと反省とは、まるで違うはずだが、それは置くとしよう。

講義の後に大川による反省瞑想指導がある。

「ハイ、足ることを知らないでいた自分について思い出してください」

そして15分ほど無言がつづく。

そのあいだ参加者は、足ることを知らなかった自分を必至で思い出しているのだろう。

「過去、他人のせいにしていたことがなかったかどうか、思い出してみてください」

「ハイ、自分の欠点を直す努力をしたかどうか思い出してください」

信じられないことに、これが『実践反省法』のすべてだった。

なんとつまらない反省であろう。

こんなものでは、そこにいた全員が、もうそれっきり自分からは二度と反省などしないことは断言できる。

反省といっても〈幸福の科学〉ではこの程度なのだ。

反省のないところに、正しい発展はあり得ない。

あのフライデー事件も、反省なき発展の結果ではなかっただろうか。

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思いやりも優しさも、仲間を護る暖かさも勇気も、何ひとつ見出すことができなかった。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月24日(水)09時10分1秒
  「場所など問題ではない。

素晴らしい教えさえ説きさえすれば、地球の裏側からでもここへ尋ねてくるようになる。

だから、この西荻窪が聖地なのだ。

天理教ができて天理市になったように〈幸福の科学〉がこの町の名前を変える日がきっとくる」

はじめの頃、西荻窪への大川の入れ込みようは大変なものだった。

しかし主宰先生の言うことは、すっかり変わってしまった。

「こんな田舎に何で居なければならないんだ。

政治家とのコンタクトも、これからは必要になる。

中央へ出たい。

高級霊からの通信も、それがいいと言っている」

大川に何か野心があるなら、便利屋程度にしか見られていない私が何を言っても耳を傾けはしないだろう。

「高級霊からの通信」という切り札があるかぎり、どんな正論も通じない。

高級霊の指示だからと、その野心を達成しようとするだろう。

(どうせなら何でもしてやろうじゃないか)

そんな気持ちになっていた。

新宿三丁目に手頃な貸しビルがあった。

宗教団体を表に出さず、出版社として下交渉すると間もなくOKが得られた。

そこを第一の候補として、次にもっと思い切りすごいところを狙ってみた。

それが〔紀尾井町ビル〕である。

千代田区紀尾井町に建設が進んでいた地上二六階建てのこのビルは、当時ビジネスマンの話題の中心であり、あこがれの的だった。

東京の一等地では、もはや入手不可能な広いフロア、皇居や永田町にも近い地の利。

賃貸料も月何千万円という単位である。

そこに入居することは、トップ企業の証明であるかのように思われていた。

(ひとつ、あそこを狙ってやろうか)

新宿のビルの下交渉で親しくなった不動産業者に相談すると、たちまち目を輝かせた。

契約成立となれば、手数料だけで2000万円を越えるのである。

しかし金を出せば誰でも入れる、というわけではなかった。

権威という付加価値をつけたいビル側(大京)の内容審査は厳しく、やっと名が売れ始めたばかりの宗教団体に簡単に貸してくれるとは思えなかった。

とりあえず本部に相談すると、大川は身を乗り出してきた。

ダメで元々ではないか、とりあえず挑戦してみよう。

その気になって、大いに私を励ましてくれた。

中小企業が、一気に一流企業の仲間入りをするのである。

会の礎として献身してきた私にも、それは愉快なことである。

大京の事務所へ行くと態度こそ丁寧だったが、こちらを軽く見ているらしいことは、私にも推察できた。

〈幸福の科学〉などという名前は聞いたこともないのだろうから、それもしかたあるまい。

この敵をどう攻略してやろうか。

私はいつの間にか〔紀尾井町ビル入居〕をゲーム感覚で楽しみ始めていた。

次の折衝のときは、建設中のビルへ案内された。

まだ骨組みしかなかったが、鳥カゴのようなエレベータで21階まで昇った。

物凄い恐怖と、春とはいえ寒々とした曇り空だったことをよく覚えている。

東京を睥睨するような、素晴らしい見晴らしだった。

あんな高みから見おろしたら、人の心や生活はますます見えにくくなるだろう。

今にしてそんなふうに思う。

しかしあのときの私は、そんなことを感じるゆとりはなかった。

高所恐怖症者のように、自分の高さが怖くてしかたなかった。

事務所に帰った私は、見てきたことをさっそく大川や幹部連中に話した。

私自身いくらか興奮していたかもしれない。

当初は夢物語でしかなかった。

それが次第に大きな期待となって膨らんでいった。

ついに高級霊からの指示があった。

「高級霊から指示が下り、九次元霊全員が新宿ではなく紀尾井町ビルに移れと言っている」

ある朝、そんな神示が大川から披露された。

ご存じない方のために言っておくと、九次元というのは人の霊としては最も進化した人々のいる世界で、

仏陀、キリスト、アラー(高橋信次)、モーゼ、孔子、ニュートンなどが九次元霊である。

その霊たちがこぞって「紀尾井町ビルに移れ」と言っているという。

私にとっては、いよいよ話が面白くなってきた。

例の業者と作戦を練った。

まず新宿のビルのほうで内諾をとり、その信用で大京側を落とそうというものだった。

じきに大京から、もう少し具体的に調査したいと言ってきた。

今度は細田局長をともなって大京を訪れた。

質問は以前と同じだったが、私にはピンとくるものがあった。

私たちは事務所としては最高の場所にある18階を希望してその日の交渉を終えた。

外に出ると細田が言った。

「ウチのスケールでは、ちょっと無理じゃないかね」

「いや、これはOKですよ。間違いない。ただね、18階は貸せないが、3階か4階ならいいと必ず言ってきますよ」

まだ小寒い陽射しの中を、私たちは西荻窪の小さな事務所へと急いだ。

そこに入居することは、トップ企業の証明であるかのように思われていた。

これが〈幸福の科学〉における私の最後のご奉公になった。

しかしそれを今、複雑な気持ちで思い出す。

この紀尾井町ビルが、会の拡大路線に火をつけてしまったのではないだろうか。

4月になると、高級霊から大川に「伝道の許可」が与えられ、会員獲得へ盛んに檄が飛ぶようになった。

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〔与える愛〕は建前だけ、理論として口で唱えるだけだったのか。

 投稿者:死神  投稿日:2017年 5月24日(水)09時08分1秒
  紀尾井町ビル

http://sakurakaory.blog.fc2.com/blog-entry-41.html

けれど私の正義感が、求道心が、もはやそれを許さなかった。

(世俗的な望みを捨ててきたはずじゃないか。

あれだけの犠牲を払い選びとった道を行くのに、いまさら何を恐れるんだ。

即刻クビというなら、それもいい。

これをきっかけに大川先生に、ホンモノの大如来として、大きな愛の輝きを持っていただくことのほうが大切ではないのか)

一方には不安もあった。

もしかしたら、今度のことは私には理解できない愛の表現なのではないか。

冷血を装って私たちをハラハラさせてから、すぐ後でウーンと唸らせるようなドンデン返しが用意されていたら、どうしよう……。

(大恥をかくことになるが、こんな嬉しい恥はない。大いに笑われてやろう)

私は〈幸福の科学〉の愛の神髄を確かめるべく、思い切って筆を握った。

〔質問〕迷える小羊の扱いについて

イエス様の愛の表現の仕方としては、99匹の羊を待たしても1匹の迷える小羊を探し出して連れて行くというふうに聞いております。

私の考えでは、今回、神託結婚を拒否したAさんが迷える小羊に見えるので、先生には一対一でよく諭して欲しいとお願いしたのですが実現しませんでした。

会が急速に伸びなければならない時期という点はわかりますが、先生とイエス様の「愛の表現の違い」をわかりやすくご指導ください。

〔答え〕

問題の本質が十分に見えていないようです。

総務の仕事は火消し役です。

火種に油を注いではなりません。

知恵なき愛は人を我が儘にさせ、増長させ、そしてついに堕落させます。

A氏の問題でなく、自分の問題として考えてください。

過去自分の意図に反して人が行動した際に、それがなぜであるか考えてみてください。

結婚の現象は、幸福の科学の指導霊団が今回の仕事の実証として計画しているものです。

そしてこの現象を妨害して、霊言の信憑性をぐらつかせようとしているルシファーたちの計画があります。

幹部たるもの職員たるもの、こちらに加担してはならないのは当然のことです。

指導霊団の怒りの真意を看破してください。

それともう一つは、こうした団体に集う人は、自分の日常生活的な問題や、身体的な問題まで、精神的なもの、霊的なものにスリかえる傾向があります。

形而上と形而下と峻別する必要があります。

──以上──


??──この人は何を語っているのだろう。

これでは私の質問に何も答えていないのと同じではないか。

おまえたちは何も考えず与えられた仕事だけをしていろ、ということなのか。

それではヒットラーやスターリンと少しも違わない。

そのうえご丁寧にも「日常生活的な問題や身体的問題を、精神的霊的問題とスリかえるな」と、

体の不調を口実に出勤拒否している中原にまで牽制球を投げている。

どこにも愛はなかった。

思いやりも優しさも、仲間を護る暖かさも勇気も、何ひとつ見出すことができなかった。

これでも高次元の愛だと言うなら、100パーセント庇理屈である。

昨日までの仲間が悩み迷っているのだ。

光を求め道を探っているのだ。

職を捨てて霊性時代の樹立のために馳せ参じた私たちの同志が、いま迷っているのである。

こんなときに愛の手を差しのべないで、いつ愛をおこなうのか。

自分の言うことを聞かないからとサッサと切り捨ててしまう。

そんな釈迦如来がいるだろうか?

〔与える愛〕は建前だけ、理論として口で唱えるだけだったのか。

そんな宗教団体なら、今までにも腐るほどたくさんあった。

理論だけ、おしゃべりだけなんてクソにもならん。

私たちが夢見たものは、そんなものではなかったはずだ。

怒りを通り越して、落胆した。

必死に支えてきた心の奥の何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるのが聞こえてくるようだった。

(やっぱり、本者のお釈迦さまではなかったのか……)

寒かった

心が寒くてならなかった



第5章 さらば幸福の科学よ

《紀尾井町ビルヘの入居契約が最後の奉公》

阿南事件のあった88年から89年にかけての冬は、寒く長いものに思われた。

その年の1月、昭和天皇の崩御があった。

2月には政界、財界、官界を巻き込んだリクルート疑惑で、リクルート元会長が逮捕されている。

また新聞やテレビのニュースでは埼玉県で頻発していた幼女誘拐殺人のことが連日報じられていた。

バブル経済の真っ最中だったが、暗いニュースがつづいた。

物質的に豊かにはなったが、人の心はますます荒廃の度を深めていくようだった。

その荒廃から立ち上がるべく、新しい価値を求めた私たちの運動。

そこに私はもう希望を見出せなくなっていた。

心が重く沈む。

春はなかなか来ないように思われた。

しかしバブルが膨らみつづけていたように〈幸福の科学〉も着実に大きくなっていった。

三度目の拠点となっていた西荻窪の地下の事務所もすでに手狭になっている。

さて次の事務所はどうしよう、という話がチラホラ出ていた。

またまた私の出番である。

駅前の七階建てビルが空くと聞いて当たってみたが、宗教団体はお断りとアッサリ振られてしまった。

西荻窪にしっかり根をおろし、ここを神理伝道の拠点にするというのが〈幸福の科学〉の最初の決意だった。

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